no.9
:: 言葉によるサウンドワーク ::
私にとって音楽とは、大げさでもなくLIFE。
どういう音楽を創るか?ということは、どのように生きるか?ということです。
同時に、どのように聞こえるか?というのは、リスナーがどのように生きて来たか?によって変化します。
私の夢は音楽をほんの少しでも進化させる事であり、新しい可能性を模索し、多くの人に聞いてもらえるようにそれらをコーティングする。
それが私の作曲であり、LIFEなのです。
新しい音楽の可能性の一つとして、今の私はこう考えます。
『現代の音楽』とクラシックの『現代音楽』は耳という器官上は欠け離れていますが、心という点では一貫した流れがあります。
過去の音楽の流れはかなり大まかに、
素材をそのままに、(民族音楽や単一楽器音楽)
情景をそのままに、そして理論的に(クラシック誕生から和声、アンサンブルというながれ)
楽しむために、もしくは苦しみを忘れるための感情表現として(ブルースやジャズ、そしてロックへ)
自己表現のために(ヒップホップ、パンク)
技術を最大限に、(ロックからヘビメタ、早弾き、フュージョン)
そして、ジャンルによる表現と細分化が深刻化へ。
新しいテクノロジーを使って、(テクノ系)
それらを混ぜて(ポスト~ミュージック)
これらの流れは人間、生物、地球、宇宙への理解の深さと親密な関係があると私は考えます。
必然なのです。
このように解釈すると、未来の音楽も芸術もビジネスもある程度予測出来るのではないでしょうか?
具体化から抽象的になり、また細部への探求をし、また全体を見回す。
それは個の探求から始まり、全との繋がりを知り、そこで何が出来るのかを考える。
地球の生き方と同じ流れです。
しかし、そのほとんどが表現者(発信者)の一方的な発信であったのに対して、
現代の音楽は相互性を兼ね備えて来たのではないか?
それは活字やテレビというメディアから、インターネットというメディアが生まれる当然の流れと同じです。
インターネットの可能性をただの文字放送やエロサイトだけに感じている人は全く進化から遅れています。
一方方向(過去)と相互性(現在)が全てのメディアや表現にとって、進化のスピードに差はあれど、基本的に同じ方向を向くはずなのです。
昔は死後才能が認められることもありましたが、現在は情報のスピードは飛躍的に加速し、
今の情報は今しか意味を見いだせない『消費情報』として受け流されていくのが常です。
音楽(表現)の発信も受信もスピード化し、無駄も含めたまま発信してしまう。これは現在の悪い流れを生み出す大きな要因であるとも言えます。
音楽の流れをとても大まかに過去と現在の2つだけで言ってみれば、
表現者が『石』を置いた作品に対して、それは『石』以外の何者でもない。
という表現を繰り返していた過去。
現代は受信者が『石みたい』と言えるような、受信者の環境を考慮した表現。
これは具体と抽象をただ解りやすく書いただけ。と思われがちですがそれだけではなく、
表現者が『石』と言う無意味さを象徴しているのです。
最先端のメロディーは耳の機能上は単純かつシンプルですが、
頭の中では聞く人によって幾通りものメロディーが鳴り響く音楽。
アメリカ育ちのホットドック君には、それがロックに聞こえ、
ドイツ生まれのビール君にはテクノに聞こえる音楽。
相手の環境を利用する表現。
表現者の出したいメロディーやサウンドの大切な音だけ残し、あとはあえて排除する。
こういう現在系音楽を私は創りたい。